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過去の事例から見る預金封鎖
預金封鎖とは
預金封鎖とはその名のとおり銀行に預けてある預金の引き出しを制限することです。
過去には戦後の日本、デフォルトに陥ったアルゼンチンの預金封鎖、そして今回のキプロスの預金封鎖などがあります。これらの預金封鎖は一言に預金封鎖といっても、それぞれ性格の異なるものです。
それぞれどのように預金封鎖が行なわれ、どうような影響を及ぼしたのかを見ていきたいと思います。
日本の預金封鎖
日本で預金封鎖がおこなわれたのは戦後の昭和21年2月17日のことです。当時の日本は戦後の債務の財政難とインフレに悩まされていたそうです。聞いた話によると闇市では食料品がかなり高価で取引されていたとか。
そこで日本政府は新円切り替えによる預金封鎖を行いました。当時流通していた旧円の一定の期間後に使用を廃止したうえで、その切り替え期間中の新円と旧円の交換金額の上限を設定したのです(預金の引き出しも制限)。
そして硬貨や小額紙幣を除き、戦前に国民がもっていた現金は無効となったようです。
さらにその後財産税をかけられ保有している財産にかなりの税率をかけられたようです。
このことをしるとお年寄りがタンスに現金をしまったり、小銭をため込むのも納得できます(笑)
戦後の混乱期のことですので経済への影響はよくわかりませんでしたが・・・
アルゼンチンの預金封鎖
1991年からドルペッグ制(固定相場製制)をとっていたアルゼンチンは、アルゼンチンの通過ペソが過大評価され貿易赤字、赤字がつみあがります。その結果アルゼンチン国債が暴落し、政府は2001年12月1日、預金封鎖へと動いたのです。さらにその後の2002年4月アルゼンチン国債のデフォルト。まさに預金封鎖とはデフォルト前の最終手段と行ってよいかもしれません。
キプロスの預金封鎖
キプロスの預金封鎖が日本やアルゼンチンと異なる点は日常生活に最低限の金額に引き出し制限がされるのではなく、預金に対し一定に資産税が課されたことです。キプロス政府がIMFからの支援を受ける見返りとして資産税を課すこととなったのです。
この事がアルゼンチンと類似することはユーロという固定相場制に近い為替制度が根幹にあることです。そしてこの事から懸念されることは、ユーロ圏の他の財政赤字の国にもこの資産税が課税される可能性がでてきたことです。
預金封鎖の後にデフォルトがやってくる可能性のあること、ギリシャの選択的デフォルトも壊滅的なダメージにはならなかった事を考えると、大暴落とまでは行きそうにありませんが今後、その影響を見極めたいと思います。
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